「本当の自分」

ツイートしようと思ったことがどう考えても140字に収まらないのでブログに書くことにした。

「本当の自分とは」を一度めちゃくちゃ本気で考えてみたことがある。

友達といるときの私と彼氏といるときの私、親といるとき、職場で、コンビニの店員に「レシートいりません」っていうとき、世の中のすべてに怒ってた中学の頃、根拠のない自信に溢れてた大学生の頃、今。

それぞれの時と場所で「自分」は話し方も考え方も好みも全然違う。本当の自分はどれなんやろ。まるでそれぞれ別の人間みたい。

仕事関係のお酒の席で乾いた笑顔を浮かべながら『違う!本当の私はこんなんじゃない!ちゃうねん!』と言い訳したくなるときがある。叫びたくなるときがある。

なら、どの時間どの場所の「自分」を切り取って持ってきて、はいどうぞと見せたら「これが『本当の自分』です、存分にご覧下さい」と言えるのだろう。

コンビニの店員に「レシートいりません」と言いながら「見て!これが私!これが本当の私や!」と言う人間はまずいないだろう。

けれど、私とこれを読んでいるあなたは「レシートいりません」のイントネーションも声の高さもきっと違う。コンビニ店員にすら良く思われたくて愛想をふりまいているかもしれないし、天性で愛想がいいかもしれないし、何か気に障ること言うたかなってくらいぶっきらぼうかもしれない。

それは紛れなくあなたがあなたであり、私が私であるからだ。

「本当の自分」なんて存在しない、あるいは全部本当の自分だ。
取り繕って演じていたとしても、演じることを、演じ方を選択したのは自分が自分であるからだ。
過去と今で考え方が全く変わっていても、「自分」がどこかでぶつ切りになって今が形成されたわけじゃなくて。絶え間なく自分であり続けた結果が今なのだ。

でもやっぱり「ちゃうねん!」が色んなとこで出てきてしまう。引っ込んどいて欲しいのに、しつこく顔を出す。

「ちゃうねん」を「せやねん」に変えていかないと、思わず「ちゃうねん」って言いたくなる自分をなかなか変えられないけど、言うは易し行うは難し。