掃除をするということ(角田光代著『ツリーハウス』を読んで)

掃除をするということは、物理的には汚れを取り除く行為だけれど、気持ちとしては「家」を創り出す行為だと思う。

一人暮らしの頃ももちろん掃除はしていたのだけれど、それは単に不衛生な部屋で暮らすと不快だからというだけだった。二人で暮らすようになって、2LDKしかないし賃貸だけど、ここが自分の城だという感覚が強くなった。ちゃんと人間が暮らしていて「家」がきちんと運用されていたいから、ここで我々は淀みなく日常を成り立たせていたいから、掃除をしている。

数年付き合っている人がいるという状況に対して「でも幸せだからいいじゃん」と締めくくられることがある。

しかし、私が東京に来たら最初からこの家があったわけではない。すべて0から、何もないところから創り出す必要があった。結婚出来ないから何の祖先にも結び付かない、系譜の枠外に突如現れる形で。家は放っておけば汚れるし錆びるし壊れる。常にメンテナンスを怠ってはならない。何も変わらないように見える日々を維持するには、常に何かを創り出す必要がある。これまでそんなことつゆ知らず、考えようともしなかったが、私達の父母も祖父母もそれらを滔々と行ってきていたのだ。

家には、祖先を根とする過去が必要なのではなく、これから何かを新たに創り出していく希望が必要なのだという趣旨の記述が掲題の著書にあるのだが、引いて考えると、今普通に送っている日常を一生懸命変わらず成り立たせていくことこそが、実は明日への希望なのではないかと思った。

 窓の外の道路工事が始まる音で目が覚めた。下腹部に乾いた痛みが走る。酷い倦怠感で起き上がるのが億劫だが、男が目覚める前に部屋を出たかった。由美子は無数に転がるビールの空き缶を縫って洗面所に向かった。一歩歩くたびに、足の裏に何かがねとりと纏わりつくような感覚がある。カーテンの隙間から差し込む朝陽に照らされて埃が舞うのが見える。何をどうすればこんな不衛生な部屋が仕上がるのだろうか。しかしその不衛生さに腹が立つこともなかった。たまたま入った駅のトイレに大便が流されず放置されていたとして、その汚さは私には関係のないことだ。どうせ一度自宅に帰るのだ、水だけで顔を洗い手ぐしで髪をとかす。尿意があったが一刻も早く部屋をあとにしたかったし、何よりこんな汚いところで用を足したくない。汚い。とにかく汚い。セーラー服を頭から被り、乱雑に並べた化粧品をポーチにしまう。毛むくじゃらの腕を布団から投げ出して眠り続けている男をそのままに、ひったくるように鞄を手に取って玄関に向かう。ローファーに裸足をすべりこませ、音を立てないよう細心の注意を払いながらドアを開けて部屋を出た。昨日と同じ下着を身に付けている不快感とは裏腹に、外は乱暴なまでに雲一つない快晴だった。

汚い親父とやらないと幸せが分からない

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掲題の文言は大森靖子の「パーティードレス」の歌詞の抜粋なんだけど、分かったらだめなだと思うけど分かる。分かるときと分からないときがある。外にいるときは分かるけど家にいると分からなくなる。家から一歩でも外に出ると、そこは自分自身じゃなくて自分が何を持ってるかを見られる世界だけど、実際手ぶらで生きてるから自らをえぐって他人に分け与えないと自信が持てない。っていう気持ち。アンパンマンのマーチは「何のために生まれて何をして生きるのか それにこたえられない そんなのは嫌だ」って歌ってるけど、アンパンマンみたいに自分の身をえぐりとって恩を着せることが出来たら何のために生まれたのかとか考える必要は多分ない。歌舞伎町の女の子はアンパンマンになれない代わりに汚いおっさんとやって生きてるのかもしれない。

記憶が正しければ汚いおっさんとやったことないけど、汚い親父とやらないと幸せが分からない的感情は10代のときめちゃめちゃあった。けどちょっとずつなくなってしまってる。10代って自分が何者なのかよく分からないしそこに意味を持たせないと不安で手首切っちゃう年代だけど、才能がないから大人になっても仕事してると汚い親父とやらないと幸せが分からない的感情が顔を出してくる。才能がないから仕事してても自分の技能で誰かが幸せになってるって実感全然得られなくて、汚い親父とやれば救われそうだなって思う。比喩的に。男前とやるんじゃ全然意味なくて、自分の大事にしてる持ち物を他人に分け与えないと自信にならない。全然がんばってないことでめっちゃ褒められても別に嬉しくないのと同じ仕組みで。

でもやっぱり汚い親父とやるとか絶対嫌だし、大人だからそんなことしなくても自分が何者かある程度分かってるし寝て起きたらちゃんと会社行ける。そうやってがんばってるうちに自分でも気づかないところで擦り減っているかもしれなぃょ。。って高校生がフォローしてるTwitterの名言bot的な奴のツイートみたいなこと書こうかと思ったけどそんなこと1ミリも思ってないからやめた。大人だから汚い親父とやらなくても自分を慰められる方法2億個くらい知ってる。大人になってよかった。

架空の不幸は地球に優しい

楽しいことは自己肯定感が0以上ないと楽しめない。最近マジで仕事がうまく行かなくて、明日動物園に行くんだけどこんな他人に何も分け与えられない自分は休日だからって娯楽にかまけていいんだろうかみたいな気がしてくる。「私は傷ついてる・・」みたいな被害者アピールをしたいわけじゃないんだけど実際そうだから仕方ない。というかこれって言葉にすればハイパーメンヘラだけど誰でも感じたことある心境では感ある。

新入社員のとき新入社員だから(今思えば)当たり前なんだけど仕事が出来なさ過ぎて、休日に休むのがいやだった。自分が出来ない人間じゃないってことを思わせられるチャンスが1日でも多く欲しかったんだけど、今またうまく行ってなさ過ぎてそういう心境になってる。

こういうときの気持ちの対処法って「何がダメだったのか反省して次につなげる」みたいなのが宇宙一模範解答なんだろうけど、こういうことが出来たはずなのになんで自分はそれをやらなかったんだろう結局私の潜在能力とは、生まれてきた意味って、、我思う故に我あり、、みたいな無駄な思考が始まって何も解消しないから、宇宙一不正解だけど実用的な解答は「自分より不幸な人間を見つけて安心する」だと思う。しんどいときにめっちゃ暗い歌詞の曲聴いたり主人公が孤独な小説とか漫画とか読んだりすると安心できる。心が安らぐ。大事なことだから訓読みで言い直した。自分だけじゃないって思えることがやっぱ一番救われる。NANAの3巻とか読むと安心できる。わざとだよ?のアレ。

これ歌や小説や漫画ってのが大事で、SNSで自分より不幸そうな人間見繕ってもやっぱ実在の人物だし、なかなか無関係とは言い切れないし手放しに安心出来ない。あまりに遠い人物の近しい出来事なら喜べるかもしれないけど。例えばビルゲイツがうんこもらしたとか。

なんかうんこって書いたら眠くなってきたから終わろうかな。

ていうか実在の人物の不幸を愉快に思うのってそもそも割と元気じゃないと出来ないよね。道徳を犯すにはある程度自己肯定感高い必要がある。自信なくしてるときは全然車が通らない横断歩道の信号も無視出来ない。NHKの受信料を払わせたければ事前にそいつの自信をなくさせればいいと思う。

言い忘れたけどこういうときは吉本新喜劇を見ても心が安らぐ。笑いはいつだって地球に優しい。関係あらへんパンツミー。

お茶碗2つ洗うのめんどくさいけどがんばれる

誰かに見ててもらわないとがんばれない。お母さんが見ててくれたから公文式の宿題がんばったし彼氏が家にいないと皿洗う気になれないし、お風呂入って明日のために早く寝たりできない。多分今彼氏がいなくなったら仕事も行けない。

悲しくて仕事行けないとかじゃなくてがんばる意味がなくなっちゃうから仕事行けない。かわいそうって言ってくれないと風邪引く意味ないしなんもする気起きなくなりそう。実際はやっぱり悲しくて仕事行けなくなるのかもしれないけど。

彼氏とセックスしない理由を人に説明するとき、なんかねがてぃぶなニュアンスでもう家族みたいなもんだからって言うんだけど、それで相手も納得するんだけど、そんなの2億パーセント嘘なのに。セックスする理由がないからセックスしないだけなのに。家族だからってのはやっぱり嘘じゃないんだけど、家族だからそんなことしなくてもいいじゃんだって家族だから。

ツイッターでは「彼氏」ってワード出しただけで嫌われたかなってびくびくしないといけないから見たければ見ればってスタンスで書けるブログって便利だね。

実際友達地球上に3人くらいしかいないから生活のほとんどが彼氏で構成されてるけどそんなことツイッターに書けない。

彼氏いてもうまくいってても友達少ないと不安になる。子供出来ないからこのままだと毎日同じ人生だなってのが不安になる。何も変化しないでほしいけど変化が見込めない人生それはそれで怖い、なぜならば人間は有限だから実際は変化がないんじゃなくて今あるものがちょっとずつ減っていって特に何も増えない気がするから。

・・・ほんとに?なんかそういう気分の時もあるけどそうでないときもある。今はそうでない。

普段思ってたことを書いてみたけど読み返してみたら自分で書いたことなのにあんま共感出来なかった。書いたの自分なのに。やっぱそのときの気分による。この間結婚式行ったから一時的にそんな気分になったのかもしれない。

未来に変化がないからとかも嘘じゃない気がするけど、SNSのせいで友達少ないのが悪って価値観が刷り込まれてるだけかもしれない。「スノボわず!楽しすぎた!」みたいなやつで。でもすぐに「SNSのせいで」とか言っちゃうの自分の脳みそで考えてない感じして嫌だね。その辺で読んだことある表現そのまま使いました感ある。

いきなりだけどもうおわり。

3日くらいしたら消す奴

10代のツイッタラーがよくやる「すぐ消す」ってやつ予定してるけど絶対消すの忘れて3か月くらいインターネットの海を漂う気がする。

ツイートしようとして書いてみたら300字くらいになったからここに書く。

大森靖子のPV観てたらなんか当たり前だけどインディーズの頃と比べて超豪勢だしバッキングもどんどん複雑になっていくし、なんかこうやって孤独だった思春期長めの若者も大人になってしまうんだなって寂しくなった。

これ言うとDQNかよきもって思われそうで怖いけど、学生の頃めっちゃ浜崎あゆみが好きで、例えばデビュー当時一人きりで生まれて一人きりで生きていくみたいな歌詞書いててその孤独が好きだったんだけど、彼女が大人になるにつれてそういう自分の内面を書いた歌詞じゃなくて外に目を向けていってそのうちワンピースかよってくらい仲間を強調するようになってついていけなくなってしまった。多分普通誰でも自分のことしか考えてなかった子供は社会との繋がりとか考える大人になっていくんだけど、どう言っていいか分からないけど、音楽聴くときくらいは大人になることをやめたい。音楽って寝る前の全面的に甘えたい気分とか仕事がつらくで全面的に甘えたい気分の帰りの電車とか、つまり全面的に甘えたい気分のときに聴くやん。今日も1日がんばるぞい的な意味合いで音楽を聴くやつもいるかもしれないけど、そんな精神が健全な奴異世界の人間だしそんなやつのこと今は考えたくない。とにかく音楽で甘えたいのに音楽で大人ぶるのやめてほしい。若いころ一人でつらいとか未来に期待できないとか言ってた人はずっとそういうことを歌っててほしい。

自分自身もう26だし居場所がなかった見つからなかったとか魔法が使えないなら死にたいとか全然思わないし、家にいても寂しくないんだけど、26の大人としてはあまりにできないことが多すぎるので弱み見せまくりな音楽聴いて安心したい。

なんかその辺小説って便利なんだけど、小説ってある程度エネルギーあるときじゃないと読めない。

エネルギーあるときってのは元気なときって意味じゃなくて、まあ元気なときも読めるかもしれないけど、そうじゃなくて辛いとか楽しいとかがんばりたいとかがんばりたくないって気持ちを能動的に発散させたい気分じゃないと読めない。

つまり物理的に疲れてないときだったり、考えることが多すぎて脳みそがぎゅうぎゅうになってたりとかしないときとか。

超疲れた何もしたくないとか1週間で自分のダメなところ100個くらい見つけちゃったとかそういうときは小説じゃなくて音楽聴きたいし、小説みたいに一言一句拾うんじゃなくて音楽聴いて自分の耳に勝手に引っかかったものだけ拾いたい。小説は川に流れてくる魚を網ですくいに行く感じで、音楽は網置いてたら流れてきた魚が引っかかってたって感じ。なんか結局何が言いたいとか特にないんだけど、昔ししゅんきだった大人は大人になってもまだちょっと残ってるししゅんきな部分を世に出してほしい。

やっぱ今の1行が言いたかったことかも。知らんけど。

3日くらいで消すとか書いたけどやっぱ消したくなくなってきた。なんか高校生くらいのときmobile spaceとかで携帯で日記書くの流行っててそのときこういう感じの頭に浮かんだこと全部文字にする感じの日記書いて黒歴史量産してたんだけど大人になってからやってみてもやっぱこれ楽しい。

おわり