定期的に読み返したい小説

これは自分用のメモを兼ねた記事です。

山田詠美 『学問』
山田詠美 『僕は勉強ができない』
角田光代 『八日目の蝉』
角田光代 『ロック母』
江國香織きらきらひかる
ダニエル・キイスアルジャーノンに花束を
村田沙耶香コンビニ人間
西加奈子 『円卓』

「本当の自分」

ツイートしようと思ったことがどう考えても140字に収まらないのでブログに書くことにした。

「本当の自分とは」を一度めちゃくちゃ本気で考えてみたことがある。

友達といるときの私と彼氏といるときの私、親といるとき、職場で、コンビニの店員に「レシートいりません」っていうとき、世の中のすべてに怒ってた中学の頃、根拠のない自信に溢れてた大学生の頃、今。

それぞれの時と場所で「自分」は話し方も考え方も好みも全然違う。本当の自分はどれなんやろ。まるでそれぞれ別の人間みたい。

仕事関係のお酒の席で乾いた笑顔を浮かべながら『違う!本当の私はこんなんじゃない!ちゃうねん!』と言い訳したくなるときがある。叫びたくなるときがある。

なら、どの時間どの場所の「自分」を切り取って持ってきて、はいどうぞと見せたら「これが『本当の自分』です、存分にご覧下さい」と言えるのだろう。

コンビニの店員に「レシートいりません」と言いながら「見て!これが私!これが本当の私や!」と言う人間はまずいないだろう。

けれど、私とこれを読んでいるあなたは「レシートいりません」のイントネーションも声の高さもきっと違う。コンビニ店員にすら良く思われたくて愛想をふりまいているかもしれないし、天性で愛想がいいかもしれないし、何か気に障ること言うたかなってくらいぶっきらぼうかもしれない。

それは紛れなくあなたがあなたであり、私が私であるからだ。

「本当の自分」なんて存在しない、あるいは全部本当の自分だ。
取り繕って演じていたとしても、演じることを、演じ方を選択したのは自分が自分であるからだ。
過去と今で考え方が全く変わっていても、「自分」がどこかでぶつ切りになって今が形成されたわけじゃなくて。絶え間なく自分であり続けた結果が今なのだ。

でもやっぱり「ちゃうねん!」が色んなとこで出てきてしまう。引っ込んどいて欲しいのに、しつこく顔を出す。

「ちゃうねん」を「せやねん」に変えていかないと、思わず「ちゃうねん」って言いたくなる自分をなかなか変えられないけど、言うは易し行うは難し。

つぶつぶになってバラバラになって

 自民党杉田水脈議員がLGBTについて新潮45へ投稿した内容で賛否両論を呼んだ。

 程なくして男性同士で結婚式を挙げたゲイの方が、日本にLGBT差別はないと思わせる内容をSNSに投稿し、賛否両論を呼んだ。これは杉田水脈議員の投稿よりも私にとっては衝撃だった。恋人と住宅ローンが組めないこと、恋人が要介護となっても社会制度で守られないこと、どちらかが死亡しても遺産を相続出来ないこと、遺体が引き渡されないこと、これら男女の婚姻でないという理由で得られない権利をすべて無視出来ることに衝撃を受けた。

 私は、杉田水脈議員のLGBTに特別な支援をする必要はないという思想を批判出来ない。自分は差別を受けず幸せに生きているというゲイの方の主張を批判出来ない。

 彼らが批判を浴びた一番の原因は、理解できないものを排除されるべきもの、或いはなかったものとして扱う論調ではないだろうかと思う。LGBTへの支援よりも少子化対策に優先的に資金を投入するべきだと主張する上で、LGBTが異常だという表現は必要だっただろうか。「生産性がない」という乱暴な表現が必要だっただろうか。自身の婚姻が幸福なものであると述べる上で、自身がセクシャルマイノリティであることを理由に不当な扱いを受けていると感じている人々の思いをなかったことにする必要があっただろうか。

 当然のことだが、だからといって杉田水脈議員はその思想故に暴力的に排除されたり人権を侵害されてはならないし、件のゲイの方の幸福は不当に奪われたり否定されてはならない。

 例えば私達を細かいつぶつぶにして切断してみたとき、ある断面ではマジョリティでも別の断面を見るとマイノリティかもしれず、大勢が完全に同質になるということは永久にあり得ない。

 杉田水脈議員も結婚の幸せを叫ぶゲイも彼らに暴言を吐く人々も、同質を求めるのではなく「ただそこに在る」ものとして互いを理解も排除もしないでおくだけではいけなかったのだろうか。

 そうやって排除しあわずバラバラに生きていたら、もしかしたらどこかで一瞬重なり合うこともあるかもしれない。みんながつぶつぶになって色んな切り口で切れる人間になっていけば、きっともっと生きやすい世界になっていく。

chu chuプリン

雨宮かのんのchu chuプリンの歌詞が死ぬほど好きなのにぐぐってもテキスト化された歌詞が出てこないから書いただけの記事。


今日も新宿西口
踵を踏んで ごめんなさい
ヒールも心も折れた
優勝は私じゃない

ぬぐえない劣等感
愛されてみたかった

誰だっていいんでしょ
私だっていいじゃない

抱きしめてよ ママ
夢に見ていた東京
今は 大嫌い

ずっと楽しみにしてたプリン
賞味期限切れなんて
まるで私みたいだねと

誰も笑ってくれない


座りたかった優先席
つま先立ちは疲れた

誰もいない家に帰る
冷えたビールが待ってるわ

慰めてよママ
夢に出てた景色 空気
汚いわ

ずっと期待してたプリン
賞味期限切れなんて
なんのために生きてたの
明日といっしょに死にたい

占いなんて信じないけど
二位だったから 小さく幸せ

完璧なんてつまんないのよ
ほら面白くさせてよ

ずっと期待してたプリン
消費期限切れなんて
もう食べれなくなっちゃった

でもお願い
捨てないでね

これが正解

ここで怒るのが正解なんだっけ、笑うのが正解なんだっけ。

この人はなんて言ってほしいんだっけ。

この人が言う「みんな」に自分は含まれてるんだっけ、

ここで反応するのと何も聞こえていないふりするの、どっちが正解なんだっけ。

当たり障りのないことだけ言ってたら結局それが一番不正解だった。

今私が笑ってたり怒ってたりするのは自分の感情なんだっけ、この人がそうしてほしいからそうしてるんだっけ。

 

朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』を読んでたら気持ち悪くなった。

桐島なのか桐谷なのか忘れたから今わざわざベッドの上に置いてる『桐島、部活やめるってよ』を裏返して表紙を見た。

テストでアホみたいな答えばっか書く奴でも、このクラスで誰が「上」で自分はこいつよりは「下」って判断は絶対間違えない、みたいなことを書いてた。

「上」の奴らは僕と同じ学ランをどうやってあんなかっこよく着てるんだろう。みたいなことも書いてた。

大人になって向き合わなくてよくなったと思ってたことがめちゃくちゃ生々しい言葉で書かれていたから気持ち悪くなった。

大人になっても実は全然無視してないことだったから気持ち悪くなった。

7人くらいの集団でお昼食べに行ってお昼からオフィスへ戻る途中セブンによってコーヒー買うのも7人みんなで揃って、ってしてる若手男子社員の彼らとか。

彼らがいるセブンにたまたま行ってしまったときは、彼らがコーヒー淹れてる間雑誌立ち読みするフリしてる。雑誌の内容なんてほとんど頭に入ってこない。

 

これが正解って無言で見せられても、自分の思いたいことを思えるようになりたいな。

「上」の人と話すとき、私が正解そのものですって言われてる気がして、ならこの人が言って欲しいと思ってることを言わなくちゃって思うんだけど、そんなの咄嗟に分かるわけないからマジでうまく話せない。

アラサーなのにこんなの死ぬほど恥ずかしい。

掃除をするということ(角田光代著『ツリーハウス』を読んで)

掃除をするということは、物理的には汚れを取り除く行為だけれど、気持ちとしては「家」を創り出す行為だと思う。

一人暮らしの頃ももちろん掃除はしていたのだけれど、それは単に不衛生な部屋で暮らすと不快だからというだけだった。二人で暮らすようになって、2LDKしかないし賃貸だけど、ここが自分の城だという感覚が強くなった。ちゃんと人間が暮らしていて「家」がきちんと運用されていたいから、ここで我々は淀みなく日常を成り立たせていたいから、掃除をしている。

数年付き合っている人がいるという状況に対して「でも幸せだからいいじゃん」と締めくくられることがある。

しかし、私が東京に来たら最初からこの家があったわけではない。すべて0から、何もないところから創り出す必要があった。結婚出来ないから何の祖先にも結び付かない、系譜の枠外に突如現れる形で。家は放っておけば汚れるし錆びるし壊れる。常にメンテナンスを怠ってはならない。何も変わらないように見える日々を維持するには、常に何かを創り出す必要がある。これまでそんなことつゆ知らず、考えようともしなかったが、私達の父母も祖父母もそれらを滔々と行ってきていたのだ。

家には、祖先を根とする過去が必要なのではなく、これから何かを新たに創り出していく希望が必要なのだという趣旨の記述が掲題の著書にあるのだが、引いて考えると、今普通に送っている日常を一生懸命変わらず成り立たせていくことこそが、実は明日への希望なのではないかと思った。

青空

 新聞屋のバイクのエンジン音で目が覚めた。

 下腹部に乾いた痛みが走る。

酷い倦怠感で起き上がるのが億劫だが、男が目覚める前に部屋を出たかった。由美子は無数に転がるビールの空き缶を縫って洗面所に向かった。一歩歩くたびに、足の裏に何かがねとりと纏わりつくような感覚がある。カーテンの隙間から差し込む朝陽に照らされて埃が舞うのが見える。

 水だけで顔を洗い手ぐしで髪をとかす。尿意があったが一刻も早く部屋をあとにしたかったし、何よりこんな汚いところで用を足したくない。汚い。とにかく汚い。

 セーラー服を頭から被り、乱雑に並べた化粧品をポーチにしまう。毛むくじゃらの腕を布団から投げ出して眠り続けている男をそのままに、ひったくるように鞄を手に取り玄関に向かう。ローファーに裸足をすべりこませ、音を立てないよう細心の注意を払いながらドアを開けて部屋を出た。

 昨日と同じ下着を身に付けている不快感とは裏腹に、外は乱暴なまでに雲一つない青空だった。